一語一映Ⅲ

高知市の美容室リグレッタの八木勝二が、映画や本のこと、ランチなど綴ります。

キネマ旬報ベストテン鑑賞レビュー 「リトル・ダンサー」「となりのトトロ」

★★★★★・・・なにを置いてもレンタル店へ走ろう ←新設しました
★★★★・・・絶対オススメ 
★★★・・・おススメ。
このコラムではこれ以下はありません。

※本編の内容に触れる個所がありますから、観られていない方は、ご注意ください。


『リトル・ダンサー』


2001年外国映画第3位 イギリス映画・パラマウント映画、103分 モノクロ
監督=スティーブン・ダルドリー、脚本=リー・ホール、音楽=スティーブン・ウォーベック
出演=ジェイミー・ベル、ジュリー・ウォルターズ、ゲアリー・ルイス、ジェイミー・ドラヴェン、ジーン・ヘイウッド、ステュアート・ウェルズ

(ストーリー)
1984年、ストライキに揺れるイングランド北部の炭坑町ダーラム。母親を亡くし、父(ゲアリー・ルイス)も兄のトニー(ジェイミー・ドラヴェン)も炭坑労働者のビリー(ジェイミー・ベル)は、ボクシング教室に通っているが、試合に負けてばかりの11歳。そんな時、偶然目にしたウィルキンソン夫人(ジュリー・ウォルターズ)のバレエ教室に強く惹かれ、女の子たちに混じって練習するうちに夢中になっていく。

ウィルキンソン先生はどんどん上達するビリーに自分が果たせなかった夢を重ね合わせ、熱心に彼を教える。しかし、家族の金をバレエに使っていたことがバレてしまい、父は激怒。ビリーは悔しさをぶつけるように、一人で踊っていた。

だが、ストライキが長引き町中が暗く沈んでいるクリスマスの夜、親友マイケル(ステュアート・ウェルズ)の前で踊るビリーの姿を見て、息子の素晴らしい才能に初めて気づいた父は、彼をロンドンの名門、ロイヤル・バレエ学校に入学させる費用を稼ぐため、スト破りを決意する。それは仲間たちへの裏切り行為であった。だがスト破りの労働者を乗せたバスの中に父を見つけたトニーが、バスを追いかけて必死に止め、父は泣き崩れる。

その事情を知った仲間たちがカンパしてくれ、ビリーは学校に行くことができた。15年後。バレエ・ダンサーになったビリー(アダム・クーパー)は、父と兄とマイケルが客席にいるウエスト・エンドの劇場の舞台で、スポットライトに包まれながら堂々と踊るのであった。


(鑑賞)
タイトルの「リトル・ダンサー」に得も知れぬ嫌悪感を覚え、今まで未見で済ませていたことを後悔させられるすばらしい映画でした。確かに原題の「ビリー・エリオット」では、日本では「何をした人なの?」って程度でしょうから、それだともっと分かりにくいのでしょうが、昭和時代のような気の利いたタイトルが近頃ものすごく少ないような気がします。「僕がバレエ・ダンサーを夢見てはいけないの?」というサブコピーの方が映画の本質を現しているようなきがします。

貧しい境遇に落ち込んでいるわけでもなく、母が亡くなり、祖母の世話をしながら、炭鉱のストライキで仕事がない兄と父に当たるでもなく、素直に生きるものの、目当てが見当たらないビリーの悶々の日々に、バレェとでうことで生きがいが生まれる過程の描写はとても素敵です。
最初は父親に隠していましたが、そのうちばれてしまい、「バレェを習う?そんなお金がどこにあるんだ」と止めされられてしまいます。
でも、ビリーの素質を見抜いたウィルキンソン先生は、無償で個人授業を始め、ロイヤルバレエの学校の入学試験の手筈まで整えてくれます。

ダンスシーンの躍動感がとてもウキウキワクワクする少年の心をうまく表現しています。

父親は、ビリーの夢が本物だと分かり、叶えてあげるためにスト破りの裏切りさえしてしまいます。親子の愛がここから急速に加速して動き出します。

怒鳴ってばかりだった、父と兄もビリーの夢を理解し応援していくようになる様は、やはり親子ってそういうもんだよね、という感慨がいっぱい詰まったシーンです。

本来の親子って、こういうものです。
分かり合えた時って、いいものですよね。

最後のシーンでは25歳のビリーが、夢の舞台を踏むシーンに飛びます。
応援するダーラムのみんなも14年間で歳がいったり、成長したりしています。
一人ひとりの14年間が表情に表れており、とてもいいラストシーンでしたね。
★★★★



『となりのトトロ』


1988年日本映画第1位・徳間映画、88分 カラー
監督・脚本・原作=宮崎駿、製作=徳間康快、音楽=久石譲、撮影=白井久男、編集=瀬山武司
声の出演者=日高のり子、坂本千夏、糸井重里、島本須美、高木均、北林谷栄

(ストーリー)
物語の舞台は昭和30年代。
大学で考古学を研究する学者のお父さん、小学6年生のサツキ、4歳のメイの3人が引っ越してきたのは、豊かな自然と美しい四季があふれる田舎の、「お化け屋敷」のような一軒家。しかし本当に出たんです…… トトロが。

(鑑賞)
「となりのトトロ」は公開された1988年には、これもジブリの名作「火垂るの墓」と2本立てで4月16日に封切りされたのですが、今では11.7億円という考えられないほどの低い成績だったのです。まだ宮崎ブランドが確立されていなかった時期(かくゆう僕も劇場では見ていないのです)ということもありますが、火がついてのはまず、日本で一番権威のある、その年のキネマ旬報のベストテンで日本映画1位になったことです。
当然読者の1位も獲得しました。「ダイハード」とともに、評論家も一般の人も認める娯楽的かつ映画的興奮を満足させる作品であったわけです。
 その後、セルビデオが発売されるや、1996の徳間版までで24万本という驚異的な売れ行きを示し、ディズニーと組んだブエナビスタ版では190万本もの大成功を収めるのです。一般に認知されたのはこのビデオ・大ブレイクのころなのです。
 その後、DVDに切り替わっても、120万枚ととどまるところを知らず、各家庭に1本そして買い換えてまた1枚という国民ブランド映画になったわけです。僕自身も宮崎アニメでは「ルパン3世カリオストロの城」と並んで一番好きなアニメ映画です。

「このへんな生きものは まだ日本にいるのです。たぶん。」と「忘れものを、届けにきました」のふたつ。前者はお父さんの声も務めた糸井重里さんによるもの、後者は同時上映された『火垂るの墓』の共通コピーです。テレビ放送は14回にものぼり、最低でも17%の視聴率、最高23%の視聴率と、大人も子どもも楽しめる国民的アニメになってしまいました。

ひとつは、時代性ですね。昭和30年代の野も畑も小川もある風景の中で繰り広げられる親子の生活、子どもの見るファンタジー。
そしてトトロやススワタリや猫バスのキャラクター、子どもの頃夢見たようなものばかりが現実世界に出てきたようなファンタジーはこれが初めてだったのです。そしてそのキャラクターたちが躍動感あふれる動きと愛嬌のある個性で、和ませてくれるという子どもだけでなく、大人も「あの頃に返れる」アニメになったのです。

この葉中の場所は、埼玉の南の方という設定のようです。狭山付近ということが予測されます。今は住宅もたくさん建って東京の街への通勤圏になっているでしょうが、お父さんも東京の大学へ考古学を教えに行っていますから、バスで出て、電車で東京へ通える距離だったんでしょうね?

僕が一番好きなシーンがこれなんです。さつきたちが住む家を管理していたばあちゃんの孫のクラスメートのカンタが、突然振り出した雨に雨宿りしている、さつきのメイ(ふたりとも5月という意味ですね、笑)に大きなこうもり傘を差し出すシーンです。ほのかな恋心を表していていじらしいじゃありませんか?

宮崎アニメでは「空を飛ぶ」というシーンが魅力でもありますね。
「風の谷のナウシカ」は、空を自由に飛びながら悪と戦うという物語で、アニメの躍動性を思い切り広げていましたし、「天空の城ラピュタ」自体は、空中の物語なんですね。「魔女の宅急便」では主人公が魔女の見習いですから、飛べることが一人前の証だというテーマですから、不自然さはありません。

さて、「となりのトトロ」では、トトロと一緒に空を飛びます。
夢の中なのか、現実の世界なのかはあえて明示していません。
猫バスで飛ぶときも、ふたりだけには見えて、ほかの人たちには見えないものになってています。
カンタのばあちゃんも昔ススワタリが見えたそうです。
さつきとメイのお父さんも、トトロの存在を否定しません。
そんな子どもの頃にだけ、見えるもの、見えたものがあったはずだよなぁ、と思い起こさせてくれるこの映画を何度でも観たくなるのは、人が万人持っている「あの頃のほのかな思い出」を大切にしたいという気持ちが有るからでしよう。

メイが寂しくてお母さんに会いたくなり、とうもろこしを届けてあげたくて道に迷ってしまうところも、こうして、必死になって探し回り、村をあげて捜索をするなんていうことは今ではまずないでしょう。

そこに猫バスが現れて、メイを見つけ出し、七国山のお母さんの入院している病院までひとっ飛びに走りぬけ、見舞いの品だけ届けて、窓から眺めて安心して村へ帰るというくだりも心を打たれます。
 大人になってもこういう子どもの頃見えていたものがいつでも見られるような大人で居たいなと思わせる名作映画でしたよね。★★★★★