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一語一映Ⅲ

高知市の美容室リグレッタの八木勝二が、映画や本のこと、ランチなど綴ります。

キネマ旬報ベストテン鑑賞レビュー 「二十四の瞳」「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」

映画マイラブ キネマ旬報 DVD鑑賞

★★★★★・・・なにを置いてもレンタル店へ走ろう ←新設しました
★★★★・・・絶対オススメ 
★★★このコラムではこれ以下はありません。

※本編の内容に触れる個所がありますから、観られていない方は、ご注意ください。


『二十四の瞳』


1954年松竹映画・日本映画ベストテン1位、156分 モノクロ
監督・脚本=木下恵介、原作=壺井栄、撮影=楠田浩之、音楽=木下忠司、
出演=高峰秀子、月丘夢路、井川邦子、小林トシ子、田村高廣、笠智衆、夏川静江

(ストーリー)
1928年(昭和3年)、大石先生は新任の女教師として小豆島の岬の分教場に赴任する。一年生12人の子供たちの受け持ちとなり、田舎の古い慣習に苦労しながらも、良い先生になろうとする大石先生。

ある日、大石先生は子供のいたずらによる落とし穴に落ちてアキレス腱を断裂、長期間学校を休んでしまうが、先生に会いたい一心の子供たちは遠い道のりを泣きながら見舞いに来てくれる。

しばらくして、大石先生は本校に転勤する。その頃から、軍国主義の色濃くなり、不況も厳しくなって、登校を続けられない子供も出てくる。やがて、結婚した先生は軍国教育はいやだと退職してしまう。

戦争が始まり、男の子の半数は戦死し、大石先生の夫も戦死してしまう。また、母親と末娘も相次いで世を去る。

長かった苦しい戦争も終わり、大石先生はまた分教場に戻り教鞭を取ることになる。教え子の中にはかつての教え子の子供もいた。

そんな時、かつての教え子たちの同窓会が開かれる。その席で、戦争で失明した磯吉は一年生のときの記念写真を指差しながら(オリジナル版では指差す位置がずれ、涙を誘う)全員の位置を示す。真新しい自転車を贈られ、大石先生は胸が一杯になり、涙が溢れてきた。その自転車に乗って大石先生は分教場に向かう。う。/span>

(鑑賞)
原作は多くの人が知っている物語ですが、全部読んで、実は反戦を高らかに謳いあげた
名作小説だということをご存じない方も案外多いのかもしれません。
 
前半の先生と12人の子どもたちのふれあいのみずみずしさ、
そして子どもたちの悪戯で大石先生が怪我をして、
自宅療養している先生をみんなが歩いて見舞いに行くシーンの感動、
そうしたところがとても印象に残る映画です。
 
同年に公開された「七人の侍」を抑えて昭和29年の年間ベストテンで1位になった作品です。
世紀の名作に迫る名作なのです。

まず、分教場の教室で新入生12人の出席を取るところから感動します。
大石先生は、生徒の名前を覚えるために「○○なだれそれ、
ニックネームは△△」なんて書いて覚えようとするものですから、
洋服で自転車に乗る女の先生というだけで目立っていたのが、
一気に岬の分校の親たちの井戸端会議の餌食になってしまいます。

それでも生徒たちは正直です。
男先生がしてくれない授業で先生になついてしまい、
小豆島の自然の中でのびのびと育っていきます。
大石先生が大怪我をする浜辺の落とし穴の悪戯も悪意からではなく、
驚かせてやろうという程度の気持ちでやったことが、大事故につながってしまうのです。

昭和初頭の風俗がほんとに丁寧によく描かれています。
岬の分教場から大石先生の家は見えるのですが、
湾がぐるりと取り囲んでいますから、約8キロの道のりがあるのです。
原作には「瀬戸内の寒村」とだけ記されていますが、
作者の壺井栄さんが小豆島出身であったことと、
この映画の舞台が具体的に小豆島とうたったことから実話のように思われてきました。
先生を慕って歩き通した12人は先生と久しぶりに再会して、うどんをご馳走になって、
それから記念写真を撮って岬へ帰ります。その時の写真が印象的小道具です。


このあと、みんなが高学年になって本校へ通いだしてから起こる時代の影を丁寧に描写し、
一つ一つのエピソードが心に残るものになっています。
原作にはない童謡をたくさん子どもたちの声で歌わせたのにも、
映画としての効果は大きかったと思います。
ユリの花のお弁当の事件、修学旅行の時のぶかぶかの靴の話、
船の上での婚約者とのすれちがい、金比羅山の参詣を終えた後のうどん屋でのドラマ、
いろんなエピソードがひとつずつ独立して思い出されます。
この丁寧さが木下監督の真骨頂なのです。

時代は戦争へと突入し、小豆島にも戦争の影響は起こります。
生徒たちは兵隊さんになりたいといい、
大石先生の子どもたちも家で兵隊さんごっこをして遊んで、叱られてしまいます。

「二十四の瞳」の12人の生徒たちは、戦争後集まったときに、
7人にまで減っていたのです。
戦争で亡くなった男子生徒、病気などで亡くなった女子生徒が5人と、
半分近くが亡くなりました。大石先生の旦那さんも亡くなります。
とても悲しいシーンです。

こういうシーンを見るに付け、静かに反戦を描いた名作だといえます。
ラスト近く大石先生の教員復帰祝いに集まった7人の生徒からのプレゼントが、真新しい自転車でした。
そして、戦争で盲目になってしまった竹一が、みんなで撮ったあの写真を指でなぞりながら、
一人ひとりの位置を当てていきます。
少しずつずれてはいますが、全員の位置関係は記憶に正しいのです。

ラストシーンはまだやや続きます。この感動的な再会のシーンを終えた後、
大石先生がまた岬の分教場へ新品の自転車で通うところが、長く映し出されます。
このシーンから人生の日々は臨むと望まざるにかかわらず、
続いていくんだという残酷さと希望を示唆して「終」マークがでます。
ここが一番のほかのリメイク作品との違いですね。

古くてモノクロで、と敬遠していたあなた、2時間半だけ時間を下さい。
レンタルでこの名作が見られるなんて本当に素晴らしいことです。
★★★★★ 以上かも?


『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』


1989年外国映画第5位、スウェーデン映画、101分、1985年度作品。
監督・脚本=ラッセ・ハルストレム、撮影=イェリエン・ペルション、
美術=ラッセ・ヴェストフェルト、音楽=ビョルン・イスフェルト
出演=アントン・グランセリウス、メリンダ・キンナマン、アンキ・リデン、トーマス・フォン・ブレムセン、マンフレド・セルネル

(ストーリー)
主人公のイングマル少年は、兄と病気の母親、愛犬シッカンと暮らしている。父親は、仕事で南洋の海に出かけたままずっと帰ってこない。人工衛星に乗せられて地球最初の宇宙旅行者になったあのライカ犬の運命を思えば、どんな事だってたいしたことはないと考えるのが彼の人生哲学だ。やがて夏になり、母親の病状が悪化。イングマルは一人、田舎に住む叔父の元に預けられることになる。その村の住人は、一風変わった人ばかり。街に置いてきたシッカンのことが気になるものの、男の子のふりをしている女の子・サガとも仲良くなり、毎日を楽しく過ごすイングマルだったが…。

(鑑賞)
この映画を何と例えよう?見たこともない世界観の映画でした。
1957年のソ連のスクープトニック・ショックの頃の映画です。
映画を調べていてはじめてわかったのですが、この映画で出てくる
「僕の人生は、人工衛星に満足な餌も与えられずに乗せられたライカ犬よりもましだ」
という人生哲学は、ちょうど僕が生まれた1957年の11月7日の4日前のソ連の
人工衛星スクープトニック2号が飛んだ時代の映画であるということです。

僕が長男なのに、勝二と二が名前についているのは「人工衛星の2号が飛んだ日に生まれたからだ」
と父親に言われていたことを思い出すのに、懐かしすぎる事実であったことを教えてくれた映画だったのです。

その頃つまり昭和32年のスウェーデンの寒村での出来事を淡々とユーモラスに描いた映画です。


父の不在、母は病気で入院生活、かわいがっていた犬は預けられ(あとで死んでいることが分かります)、
自身は兄と離れておじさんの所へ行きます。
その村で起こること、出会う人たち、これらが全て奇跡のように丁寧に描かれていて、
その様子は昔の日本の村コミュニティを想起させるものです。
初めは慣れなかったイングマルも、自然と馴染んで行き、村の子どもたちと交わり、
スポーツに講じたり、恋をしたり。

元々おねょしょをしたり、緊張すると手がゆうことを利かなくなったり、自分が抑えられなくなったりと、
「難しい少年」だったイングマルが、村の少年や大人たちとの交流の中で笑顔も取り戻して行きます。

いくつかのエピソードの中に少しだけ、性的なにおいがするのも、少年の成長物語としては納得ができます。
子どもの頃って、異性にこんな思いで接していて、大人とはこんなだったな、という思いが見事に描写されています。

悲惨な恵まれない子どもの映画なのに、全編ユーモラスなのは、監督の目が人生に肯定的だからでしょう。揺れ動く子どもの心を見事に捉えた珍しいパターンの傑作映画です。
子どもには肯定的に接しよう、そんな風に感じる映画ですよ。
★★★★